キルギス映画『馬を放つ』を観て

 

 

 

 

久しぶりにブログを書きました…!

 

馬を放つ』という、キルギス人監督によるキルギスの映画を観てきました。

 

 

 

 

 

 

 映画は普段あんまり観ませんが、

わぁキルギスだ~!と食いついた私は、自分のした旅の追体験のためにワクワクしながら京都シネマへ。

映画に映し出されるキルギスの大地山脈、チャイやナン、伝統パッチワークのカーペット、ソ連カー、ムスリムキルギス語の語感、…序盤はそれらを焼き付けるように凝視していました。

 

 

私はいつの間に物語に入り込んでいたのでしょう。

 

 

 

 

 

www.bitters.co.jp

 

キルギスのある村。村人たちから"ケンタウロス"と呼ばれている物静かで穏やかな男は、妻と息子の3人でつつましく暮らしていた。しかし、そんな彼には誰にも明かせない秘密があった――。 
彼はある理由から、キルギスに古くから伝わる伝説を信じ、夜な夜な馬を盗んでは野に放っていたのだった。次第に馬泥棒の存在が村で問題になり、犯人を捕まえる為に罠が仕掛けられるが…

-公式サイトより

 

 

 

 

 

 

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キルギスは広大な自然が魅力の国。元遊牧民族だった人々は定住したとはいえ、日本社会とくらべれば今なお大自然のもと小さなコミュニティの中で素朴な暮らしをしています。

 

 

私のした旅の体験を少し。

キルギスやモンゴル、東チベットなどでは、四方が大自然。草原や砂漠、鮮やかな山脈が常に広がる世界。

旅が進むにつれ私の五感はだんだんと鋭敏になっていくのを感じた。

身を守るために風や雲の動きを“読み”、家畜や動物とは呼吸の合わせ方を覚えた。

遠く豆粒ほどにしか見えない山小屋に徒歩どれくらいで着けるか、なんて感覚もわかるようになった。

そう。野性を思い出す、という言葉がぴったりだと思う。

 

 

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旅したおかげで、映画の本編で絶えず聞こえていた虫の音、夜の闇、乾いた風の質感がとてもリアルに感じられました。

草原や揺れる夏草、奥にそびえる山脈の美しいこと。駆ける馬の躍動感。CGも派手な演出はなく、ただキルギスの自然が物語をひき立てます。

 

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自然がそうなら、人間も。

主人公の家族関係や男女関係、親戚が身近に住んでいる事、また、罪人の処置を村人の会合・多数決で決めるところや、主人公夫婦が言葉を話さない息子を、民族衣装を着たシャーマンに観てもらうシーンなど…、現代の話でありながら非常にのどかな風景が描かれています。映画全体が美しい寓話のような世界観に包まれていて、物語をタイムレスに見せている。それこそがキルギスが舞台であることの良さなのだなぁと思いました。

 

 

 

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写真は全て公式サイトより

 

 

 

 

アクタン・アリム・クバト監督がこの映画に込めたのは、資本主義化によってキルギス伝統の精神や文化が薄れてゆく事への危惧。

環境の違いすぎる日本人からするとちょっと綺麗事?という感想もweb上にちらほらありました。

(伝統って常に変わり続けているものだから、どこまでが伝統かという問いはこの記事には書かないし、書きたくない。)

それでもこれは今直面しているキルギスだからこそ描けるメッセージなのであります。

 

 

 

 

私個人の解釈は、人と自然のパワーバランスの変容と、異端者は哀れであるという人々の目。どこも同じというか、キルギスという大きくはない国から発さられるやるせない普遍性。

どの国の暮らしが良くて悪いというような事ではない。それでも『いつから人は神に代わり、自然を支配するようになったんだ(うろ覚え)』と主人公ケンタウロスが絞り出すように叫ぶシーン。使い古されたはずの言葉が、こんなにも自然に心を打つとはなあ。

 

 

 

 

 

主人公ケンタウロスの郷愁も、変化する社会へ抵抗する様も、時代の波に乗れない不器用さも、

文章にすると『はいはいよくある話ね』と興ざめしそうですが、キルギスの圧倒的な自然と寓話的世界観が、入り込める懐を作ってくれています。

 

 

 

 

どうでもいい事と分かっていても色々抱え込み、一人モヤモヤしがちな私。それを洗い流してくれるようなシンプルなストーリーと主題。

誰もが抱いた事のある厭世的な感情にも、ケンタウロスは寄り添ってくれるでしょう。

 

 

 

 

ラストが切なかったです。私は映画に寄り掛かって涙していました。

 

いつの間にか私は自分がキルギスにいるような気になっていて、映画が終わり外に出た時、そこが京都市の繁華街である事にハッとし、日本の市街のにおいを吸い込んだのでした。

 

 

 

 

 

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