前記事の続き
モンゴル側国境のブルガンに着いてそのまま西部都市ホブドを目指します。
サングラスの女性は、声をかけて来た乗り合いバンのドライバーに
何か断りの言葉をかけているようでした。
乗り合いバンは私達を残して去ってしまいます。
えっ、あのバンがホブドに行くんじゃないの…?
女性は、ブルガン側国境に自家用車を停めていました。
彼女より年下の夫婦らしい男女が、一緒に運んできた大量の荷物をトランクに積み始めました。
そうか、私は彼女たちの車に乗せて頂けるようです。
しかし彼女たちの荷物は大量という言葉では言い表せません。
買いこんでいたのは全て生活雑貨でした。プラスチックの蓋つきゴミ箱、陶器の皿、ポケットティッシュ、鍋の蓋…。ハンガー、掃除用具、もうなんでもあります。まるで夜逃げのような荷物です。
車に載せて来た巨大なスーツケースを空け、そこに脆いものや小さいものを詰め始めます。荷物の入れ方、トランクへの積み方も工夫を凝らし、すき間があればなにか詰め、かと思うと一旦全て積み荷を降ろし、また積み方を変えて試す。…それだけでまた一時間は経ったでしょうか。
出入国管理のためテープで巻いた段ボールを解体したりと、私も出来るだけ手伝います。
本音は喉が渇いて仕方なかったのですが、自分の残り僅かな水を無駄にするまいと極力飲むのを我慢していました。
夫婦のお嫁さんの、元は白い二の腕が真っ赤に焼けています。西日はさらに厳しく、
車間の日陰に入り込むも砂埃が舞って、しゃがんでもいられません。
荷物や大きなスーツケースは座席にも載せられ、どうにかようやく私の座れる隙間を作っていただき、待ち望んだ出発です。
車窓からはアルタイの岩山が遠くに見え、固そうな大地に固そうな草がぼつぼつと生えているのみです。空はまだ青く、岩山は太陽でオレンジ色になりかけていました。
モンゴリアンポップが流れる日本車はとても乗り心地が良く、じわじわとこみ上げてくる喜びを味わいました。
しかし…、たった30分走ったところで車は道路を出て、何もない草原の真ん中にあるコンクリート製の家の前で停まってしまいました。
何事でしょうか。運転席の男性が車を降り、家のドアの錠を開けます。助手席のお嫁さんと私の隣のサングラスの女性も車を降ります。
家の中は埃っぽく、家財道具はそのままありますが無人でした。
ドアの右横には中国の『トルファン干し葡萄』の箱が何百と、天井までぎっしり積まれています。
ソファに座って彼女たちに質問されるがまま、りょうこ、26歳、独身………と自己紹介をする私。
なぜここに来たのか、ホブドへは急がないのか、あなたたちはなぜ中国にいたのか…。
私だって質問したいことは山のようにあります。しかしモンゴル語が全く分かりません。
するとドアの外から大きなエンジン音がし、巨大なトラックが荷台を向けて停車したのです。
夫婦が一つ10キロはあろうかという箱をトラックに運びます。
旦那の方は上半身裸で汗を流しながら働いています。
訳がわかりません。疲れて頭も回りません。力ももう残っていません。
そんな状態で私も彼らを手伝います。
私のひょろひょろの腕は高い荷台まで箱を上げられません。
すぐに息が上がる私は時に笑われながら、助けられながら箱運びに力を振り絞りました。
頭は朦朧としていました。この状況がまったく理解できません。
ホブドに行くのではないのか、この家族はこの家とトラックとどう関係があるのか、
なぜ私はこんな重労働をしているのでしょうか。
5キロのお米を買って徒歩10分の家に帰るだけで翌日筋肉痛になる私が、なぜこんな事になっているんですか。
彼らに従うがまま何度か休憩を挟み、絶望的な量の箱はどうにかこうにか全てトラックに積み込みました。
40分はかかったでしょうか。真っ黒に汚れた手のひらを拭きなとウエットティッシュを渡され、手を拭き拭きへたり込んでいると、旦那さんが信じられない言葉を口にしました。
『アナタハ、 ニホン ジン?』
え?…なんで?
『ボクノ ナマエハ アルタンゴルデス。』
『…どうして にほんご しゃべれますか?』
私もつられて片言になります。
『ウランバートル ダイガクデ ベンキョウシマシタ。』
『…じょうずね!』
言葉が出てきません。
『さっきの にもつはこびは…しごと?』
『ソウ、シゴト。』
…そのシゴトの詳細を訊くまでには至りませんでしたが、
こんな辺境でまさか日本語の通じる現地人の車に乗せてもらうとは…。
一連の出来事は私の理解の範疇をとうに超えてしまっていますが、モンゴルの広大な草原はこちらの気まで大らかにさせる力があるようです。
私の焦心を飲み込んで土に返すが如く、『彼らは最終的にはホブドに行ってくれるだろう。』
余計な詮索をやめて大人しくドライブを楽しむ事にしました。
カーステレオからはモンゴリアンポップが流れ続け、気が付けば三人は気持ちよく口ずさんでいる。
日は落ちて真っ暗になった道を車のライトのみでぶっ飛ばす。
岩山のふもとを走っているのかやけにぐねぐねとカーブしている。
様々な時間を経て、真っ暗な前方に街の明かりが見えた時は格別な気持ちでした。
ホブドです。
暗闇に突如現れた街明かりは、砂漠のオアシスを見るように瑞々しく、また決して大きくはない街の全景をくっきりと映し出していました。
時計は夜の11時を指していました。
彼らに送られて着いたホテルのフロントデスクで、アルタンゴルは私の手帳に『アルタンゴル 94******』と、カタカナで名前と電話番号を書いてくれました。
何かあったら連絡してくださいと言い、彼らは自宅へ帰っていきました。
車からホブドが見えた瞬間と、部屋のベッドに横たわった時に味わうあの安堵感は、一人旅の醍醐味といえます。
疑問だらけのここまでの道のりで、感情だけが確かさを持って、この旅路を彩っていたなぁと反芻したのでした。